第一高等学校を経て東京帝国大学工科大学建築学科に入学。
1909
ロンドンのアーキテクチュラル・アソシエーション・スクールに学ぶ。
1913
英国R.I.B.Aの試験に合格。オースティング・ホール建築事務所に勤める。
1915
英国留学を終えて帰国。住友総本店営繕課に入社する。
この年、ロイヤル・アカデミーへ出品した“チャールズ王雪中像”が入賞の栄に輝く。
1917
聖徳記念絵画館懸賞設計競技で3位に入選。
1920
住友ビルディング建築に関する用務で渡米。
1922
住友合資会社工作部工作課長兼建築課主査となる。
1926
“我が家”を「建築と社会」に発表(2月号)。
1930
住友工作部解散。新たに株式会社長谷部竹腰建築事務所を設立する。
この年、大阪市土木部臨時ホテル建設事務所副主幹を委嘱され、新大阪ホテルの設計監理に従事する。
日本建築協会副会長となる。
1933
日本建築学会と日本建築協会合併問題で、協会側代表者のひとりとなる。
1942
長谷部・竹腰建築事務所は住友土地工務株式会社に吸収合併され、同社の専務取締役となる。
1944
同社社長となり、社名を日本建設産業株式会社に変更する。
1945
片岡安の逝去にともない日本建築協会会長に就任。
1946
公職追放令により、日本建設産業株式会社取締役社長を辞任。
1947
公職追放解除。大阪府建築審査会委員を委嘱され会長に互選される。
1950
日本建築協会会長を退任。“能楽三昧”を執筆刊行。
1958
晩年の活躍 : 【代表作】法隆寺聖徳会館 【代表作】大阪市立中央図書館 【代表作】小林聖心女子学院礼拝堂
7月28日逝去。正五位に叙せられる。享年93歳
1981